きこりの与作
|
きこりの与作
|
きこりの与作やレトロゲーム
などの関連情報いろいろ
|
|
|
 |
|
きこりの与作
|
きこりの与作は、家庭用テレビゲームの決定版として
大ヒットしたファミコン(ファミリーコンピューター)
が1983年に出る以前に発売されていたエポック社の
カセットビジョンというゲーム機においてのソフト
の第一弾として発売されたゲームです。
きこりの与作のゲーム内容は、一言で言えば
木を切る事が目的でスコアを競うループゲームです。
きこりの与作を左右の2方向のみの移動+オノを振る
1ボタンによるシンプル操作で、きこりの与作が
木を切るのを邪魔をするイノシシやマムシや鳥など
を避けたりしながら木を切って得点を稼ぎます。
木を切る際にはオノの刃のポイントがちょうど木に
命中しないと切れないようになっており、遠いと
届かず近すぎても刃が当たらないようになっている
ようなのでその辺りの工夫がきこりの与作の
おもしろさの1つでもあり、きこりの与作が
最初の販売ソフトとして持ってくるだけの
理由になっていたのではないかと推測されるようです。
空からの鳥の攻撃だけは避けるしかないようですが、
イノシシはジャンプで避けても良いのですが
オノで倒す事も可能で、このイノシシを倒す
当たり判定というかタイミングがなかなか大変
だと感じるプレイヤーも多かったそうで、
きこりの与作で木を切るよりもイノシシを倒す事に
熱中していたプレイヤーもいたとかいなかったとか。
きこりの与作とは関係ありませんが、のちに出た
アーケードゲームの「空手道」の牛と戦うシーン
(モデルはもちろん「空手バカ一代」の牛との対決
だと思われる)も、これと似たような存在になって
いたようですからこの点でもカタルシスが見出せる
ゲームであったのかもしれません。きこりの与作は
やられるといわゆる葬送行進曲が流れますが、
きこりの与作だけでなく当時のアーケードゲームや
電子ゲームなどではゲームオーバー時にはよくこの
曲が基本の1つとして使われていた事もあり、
(シーソーでジャンプして風船を割るゲームなども
やられるとこの曲が流れるものが多かったと思われる)
当時ファミコンも出る前のTVゲームの初期発展期
の「ゲームっぽい音」が感じられて、こういう面でも
魅力があったのかもしれません。
|
|
きこりの与作が第一弾のカセットビジョン
|
|
きこりの与作が第一弾ソフトとして発売された
プラットフォームであるカセットビジョンは
1万5千円を切る当時としては格安の本体価格で
発売された事もあってか、ファミコンの発売前の
ソフトを交換する事によって各種テレビゲーム
が遊べる家庭用ゲーム機としてはかなり売れた
ハードであった模様です。何故そのような安価
な本体価格に出来たのかという理由は、実は
本体ハードにはCPU(いわゆるメインの部分)
が入っておらず、きこりの与作のようなソフト側に
それぞれLSI(大規模集積回路=いわゆるICの
大規模タイプの見た目)が入っていて、現在のPC
に例えればキーボードやマウスやディスプレイは
あっても中身のメカがカラッポに近くそこに
ソフトによって違うメイン回路をはめ込んで
ソフトごとに中身が変わっているという感じ
というようなものでしょうか。ちなみにきこりの与作の
定価は4980円であり、ファミコンの初期ソフトよりも
値段が高いのはソフトの方にメイン回路が毎度毎度
組み込まれていたこのハードの構造も影響しての
ものになった部分もありそうです。
きこりの与作の画面などを見た方はおわかりかと思いますが、
このハードは値段は安いものの解像度は当時のレベルとしても
お世辞にも良いとは言いがたいものであり、他社のハード
(例えばインテレビジョンなど)と比べても圧倒的に
荒いとしか言いようが無い状態だったかもしれません。
さらに、ソフト交換形式でなく最初から1つ(あるいは
数種類程度)のゲームが内蔵された専用ゲーム機
(例えばブロックくずしだけが入ったブロックくずし専用
TVゲーム機など当時人気であった)と比べて
処理スピードも劣っていたと思われる部分も感じられ、
「ぴゅう太」のようにプログラムが自作出来るわけでも
ない為に、きこりの与作のようなレベルのゲームでさえ
ある意味ギリギリ頑張ったゲームであったという見方もあり、
多種多様なゲームを出し続けるには限界が結構近く
なってしまうような性能のハードであったと思われ、
結局現行期間は短くなってしまい、特にファミコンが
似たような安価で出てしまうと完全に淘汰されてしまった
感があるようです。とはいえ、カセット側にメインを
詰め込む形式というのはソフト価格が高くなってしまうものの
ある意味ではソフト側さえ高性能だったらかなりのものも
可能になる設計思想でもあり、現在の携帯電話などで
本体は小型チップで外側の端末だけ着せ替えするタイプのもの
(例えばウイルコムのSIMシステムなど)
などともそのような意味では共通しているのかもしれません。
なお、エポック社は現在でも似たような路線も健在で
TVにつなぐだけで1つのゲームがすぐ出来る専門ゲーム機など
(コントローラーなどに全てのメカが内蔵されていて
TVにコードをつなげばテトリスだけが出来るテトリス専用機
など)も展開されていてファンには興味深い部分であるかもしれませんね。
|
きこりの与作の本当の起源は?
|
|
きこりの与作というゲームは、実は
元々がSNKのアーケードゲームとして出た
与作が元になっており、それを移植
(許可はとっていなかったらしい?が、
当時はそのような事は日常茶飯事的にあった)
したものだと言われているようである。
ちなみにアーケード同士でも「与作とゴン平」などの
亜流のゲームが存在し、さらに電子ゲームでも
「与作とドン平」などの似たようなゲームが
存在しており、きこりの与作だけでなく
与作を題材にした亜流ゲームも多種多様であるようです。
そもそも与作というものはもちろん北島三郎の
ヒット曲である与作が元なのは言うまでもありませんが、
もっと言えばSNKのアーケードゲームの与作でさえ
本当に一番最初の起源ゲームなのかどうかすら
今となっては不明なようです。
当時は本格的に現在のPCの原型のような形式の
いわゆる一通りのシステムがパッケージングされた
パソコン(当時はまだ「マイコン」と言われていた)
がPC−8001などを筆頭に出始めた時期でもあり、
80年代には今のウインドウズのようなOSというより
電源を入れるとROMなどに最初から入っているBASIC
という初心者向けプログラミング言語がデフォルトで
立ち上がるパソコンが大半(BASICは言語であると共に
今で言うOSも兼ねている存在でコマンドラインから
各種操作も可能な万能存在であった。ウインドウズが出る前の
MS−DOSがOSとして主流になるのは主に80年代後半以降)
であり、きこりの与作のようなゲームをBASICで
自作している人も多数存在した為、誰かがこの手のゲームの
一番最初の原型を作ったのかもしれません。パソコンゲーム
内でもきこりの与作の亜流ゲームが把握出来ないほどの多数氾濫
していたものと思われます。素人製作のきこりの与作系の
ゲームのプログラムソースは当時のパソコン雑誌
(マイコンBASICマガジン(通称ベーマガ)など)
にもよく掲載されていたりしましたが、市販ソフトにおいても
ハドソンのようなメーカーは当時このようなゲームを
多量移植販売してヒットさせ、この時の売上げによって
その後大きなメーカーになるきっかけになったりしたようです。
80年代は家庭用ゲーム・電子ゲーム・パソコンゲームなど
すべてひっくるめて見ても、きこりの与作のような(今からすると)
比較的簡単に作れるゲームが氾濫した全盛期だったとも
言えるのかもしれません。
|
|
きこりの与作で思い出すパソコンゲーム時代
|
|
上に書いたように、当時は出始めのパソコンゲームで
きこりの与作のようなゲームも大量に存在した時代で
ありましたから、きこりの与作で思い出すレトロゲーム
も当時を経験した世代にとってはそれぞれの思い出の
パソコンゲームや家庭用コンシューマー機のゲーム、
あるいは電子ゲーム(当時はLSIゲームなどと呼ばれた
ガタイのものから、ゲーム&ウオッチのような小型タイプまで)
などなどがあるのではないかと思われます。
きこりの与作というかカセットビジョンレベルのゲームなら
当時のマイコンならまず移植可能なマシンばかりで
あったと言え、例えグラフィックが無くノーマルキャラしか
使えないようなマイコン(何もオプションをつけていない
状態のMZ−700など)であっても、現在で言うアスキー
アート(AA)のような表現で何でも移植が可能だったと
思われます。きこりの与作のようなゲームの場合は
「■」などのノーマルキャラクタを使用すれば
パソコンゲームとして十分移植可能であった事でしょう。
80年代にはトミーの「ぴゅう太」シリーズや、セガの
「SC−3000」、あるいはファミコンにおける
「ファミリーベーシック」シリーズのように、
家庭用ゲーム機兼パソコンの開発環境という
両方を備えたものも存在していましたが、
これらは結果だけを見れば大成功したものは
ほとんど無かったのではないかと思われ、
(ファミコンは家庭用ゲーム機としては大ヒットでしたが
ファミリーベーシックとしては大ヒットとは言いがたいと思われる)
セガの場合はSC−3000のようなパソコン兼用路線は捨て
SG−1000のようにあくまで家庭用ゲーム機として
のみのハードとしてその後展開していく事になりました。
きこりの与作が出たカセットビジョンも、半額以下の
カセットビジョンJrというハードがありましたが、
ぴゅう太もぴゅう太Jrというキーボードを無くして
ゲームのみしか出来ないタイプのものが出ていますし、
家庭用ゲーム機はあくまで家庭用ゲーム機として進む
事が多かったようです。しかし、そうは言っても
パソコンの方も実際はゲームに使う人が多く、
またパソコンゲームがあったからこそパソコンも
伸びたのはあったと思われ、きこりの与作のような
当時のゲームが色々なプラットフォームで花開いていた
時期であったのかもしれません。
|
|
 |
Copyright (C) 2007-
きこりの与作 情報
All Rights Reserved.
HOME
|