桂春団治
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桂春団治と落語云々
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桂春団治や落語などに関連
する情報などいろいろ
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桂春団治と落語
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桂春団治(桂春團治)といえば落語界では大変有名な
存在である事はもはや言うまでもない事でありましょう。
桂春団治は上方落語で先代から代々襲名されてきており
現在では3代目の桂春団治が活躍しておりますが、
初代の桂春団治の前に先代扱いの桂春団治が存在する為に
桂春団治と呼ばれる落語家は今のところ4人存在した
という事になるそうです。その先代の伝説的(?)な
桂春団治は先代とも零代目桂春団治とも言われるそうで、
生没年も不明で厳密には落語は本業ではなくたまにやる程度
だったそうですが、その存在感によってその桂春団治という名が
名跡として残るに至ったのかもしれません。
そして、実質的には初代の桂春団治が戦前期に活躍したのが
桂春団治という名の継承の基点となったようですが、この
初代の桂春団治は名跡の基点的存在となった事からも
伺えるように大変な落語名人であったそうで、当時は
すでに落語を吹き込んだレコードというものも存在した
時代であった事からも桂春団治の落語が多くの方々に
聞かれる事にもなり、その落語のうまさが人々を魅了して
いった模様です。初代桂春団治の落語は、基本的には
古典落語をベースとしつつもそれだけにとらわれない
当時としてはなおさら革新的なユーモア、遊び心にあふれた
いたずらちょっかいのようなものを随所に取り入れた点が
特徴であったという見方も多いそうで、今でもその手法は
通用する新しい時代のお笑いと共通するのかもしれない
部分を当時としてすでに取り入れているといえる形
であるとも言えるのかもしれませんが、そのような事から
それまでの落語というものにとらわれないでありつつ
落語の落語たる部分は外さず一級品の落語として
初代桂春団治の落語というものを展開していったようです。
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初代桂春団治の側面
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初代桂春団治の落語以外の側面は、その落語のあり方に
それがあらわれているといえるものとも言えるような、
とにかく破天荒な部分が目立ったそうですが、そのような
者は芸に絡むと大成する天才だったりする事は芸の業界では
よくあるのかもしれません。初代桂春団治はとにかく
酒、女、金(借金)などそちら系の逸話が非常に多いような
タイプであったそうで、現代の芸人でも一流芸人や個性的な芸人
に限ってそのようなタイプの人が多いようにも思われるフシが
あるように、そのようなタイプだからこそ落語の方でも
天才的なお笑いが出来たのかもしれないという見方も
出来るのかもしれません。しかも関西の落語家でしたので
その後の上方お笑い芸人ら(藤山寛美や、横山やすしなど)
にとっても伝説的なあこがれの存在となったのだそうです。
初代桂春団治の晩年は、自ら派閥を結成するも当時売り出し
中の吉本興業におされる形となって数年後に自身も吉本興業
に吸収合併(?)と言っては変かもしれませんが移籍する
事となったそうで、戦前の昭和初期にガンによって惜しくも
亡くなってしまいましたがその存在は上方落語界に多大な
影響を残したその業界にとっての偉人であったと言えるようです。
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受け継がれる桂春団治と落語
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初代桂春団治の死後、初代桂春団治によって襲名していた
桂福団治が初代桂春団治に芸風が似ているとの事で
2代目桂春団治を襲名するに至ったそうです。2代目桂春団治は
その襲名の経緯からも伺えるように初代と似たようなタイプの
落語を展開するカラーで、むしろ初代よりもテクニックはあるとか
カラーがよりパワーアップしたとか評する声もあるそうで、
決して桂春団治の名を汚さずに桂春団治の落語というものを
正に継承したこちらも落語の名人であったとの事です。
ただし、初代桂春団治が残した借金などが原因という説も
あるそうですが吉本興業との複雑な確執が生じて桂春団治
という名前で寄席に出られなかった時期もあったのだとか。
2代目桂春団治は戦後まもない頃まで活躍しましたが
映画の撮影中に体調を崩してしまい、その後の寄席の最中に
具合が悪くなり途中で中断する事態となってしまい、
最後の力を振り絞るかのように客に謝罪し幕がおりた所で
そのまま倒れて回復する事無く亡くなられてしまい、
多くの方々に惜しまれたそうです。現在では2代目桂春団治の
実子である3代目桂春団治が活躍しておりますが、桂春団治
の名声と落語は今後も受け継がれて大衆に笑いを提供
し続けていってくれるものと期待したいところです。
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